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雲ひとつない快晴の朝。
圧倒的な存在感と突き抜ける美しさを目前に、思わず手を合わせていた。
富士山。
日本の誇り。自然の恵み。地球の財産。
全てを分かっていて、受け止め、それでいて微笑んでいるような。
そんな大きさを感じた。
Tadasana (山のポーズ)
この堂々と広がる富士山の裾野のように
私も自分の足で立っていたい。
「地に足をつけたい... 」
9年間の海外生活のあと、そんな思いで帰国した。
思えばあの日々は、’自分’ を知るための試行錯誤だった。
あるときは、気の遠くなりそうな程高くにあって見えない頂上を
麓からただぼーっと見上げていたっけ。
そしてあるときは、ヘリコプターを使って上から見下ろしてみたりもした。
またあるときは、頂上にたどり着きさえすれば何か答えがあると思って、
必死に山を登った。
歩いて、駆けて、転んで、時に後ろを振り返って。
様々な人々との出会い、試練という名の経験に力を借りて、
ひたすら山を外から体験した日々。
今思えば、全てはただ、 山=自分自身 をもっと知るために。
弱い自分も、曲がった自分も、情けない自分もいっぱいいた。
自分を客観的に見ることは止めない。
でも
これからはもっと内側から自分を実感したい。
光を求め、浴びるのではなく、光になりたい。
富士山のように、
周りの葛藤も、自分の葛藤も全部を内に抱きしめて、
それでもドンっと自分の根っこを張っていたい。
根っこさえ安定していれば、
そこから何かがすっと伸びていくのを、
広がっていくのを、
あとは見守るだけだから。
行くべき所へ行くべきタイミングで辿り着くはず。
きっと ’ゴール’という概念もなくなるのかも。
今、この瞬間、今日も根っこを実感する事、
できること、それが幸せ。
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河口湖・山中湖(山梨)を満喫したあと、
富士サファリパーク(静岡)へ向かう道中。
慣れない道案内にマップ片手にあたふたする私をよそに、
いつも変わらずそこにいる、富士山。
一定の距離を取って、でもちゃんと見ていてくれてる。
あれっ?見えなくなっちゃったよ?!!
あーそっか。 今度は後ろにいたんだ。
ホっ。
いつもそっと見守っていてくれる。
みんなのお母さんのような優しさ。大きさ。
安心感。
ありがとう。