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大丈夫。
こうしてここまで
辿り着いたじゃないか。
「内なる観察者」に導かれ。
だから
ここからだって、きっと大丈夫。
先日、尊敬する大好きな方のWSを受けた。
母なる自然を思わせる、優しく包むような音たち。
時に激しく荒れ狂い、自然への畏敬の念を抱かせるような音たち。
ライブミュージックとのコラボレーション。
私たちの潜在意識に働きかける。語りかける。
それは、正に’祈り’にも似た
神聖な時間の中で降りてきた、贈られた言葉だった。
だいじょうぶ。
...なんと優しい響きだろう。
「私たちが恐れを抱くのは、愛を見失っているとき。」
「私たちの中に在るこの静寂に戻れば、そこにはいつも温かい愛が溢れているよ。」
あったかくて、あったかくて....
そんな時間が、空間が、「大丈夫だよ。」って背中を押してくれた。
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2003年1月。
マンハッタン・ニューヨーク。
West 61st ストリート。
古びた校舎の2Fスタジオ。
忘れもしない。
ー人生最初のヨガクラス。
当時の印象をそのまま記憶通りに記すと... (ごめんなさい)
”なんだこの怪しい先生。何言ってるかよくわからない..”
”目を閉じて?想像する?これであってる?へー何か不思議..”
"何でダンサーになる為にこんなことするんだろう”
..... 。
名前なんて覚えていないその”怪しい”先生だけれど、
なぜだか今でもはっきりと覚えている1フレーズがある。
「...泣きわめく赤ちゃんも、鳴き止まない飼い犬も、それを否定して怒ったって、
やっぱり収まらない。まずは受け入れてあげること。愛を持って。そこから始まる。」
「自分にも愛を持って接しなさい。」
一瞬ハッとなった。何かが走った。
その名もなき先生によって
私に初めて蒔かれた、小さな、ちいさなヨガの種。
当時ダンスの先生で、そんなことを言ってくれる人はいなかった。
必要な言葉だった。
あったかかった。
全く本当に。
必要なときに、必要な言葉が、
周りにいる人の口を借りて、上から降りてくるのだろう。
そんな様々な人たちの愛の恩恵を受けながら、
内なる観察者と共に、
今日も進んでいこう。
きっと、大丈夫だから。