大好きな秋の空。
秋空はもくもく雲と一緒に、素敵な出会いを運んで来てくれる。
NYから来日中のヨガ講師・ジェニー。
私がNYでトレーニングを受けた恩師クリシーの親友でもある彼女と
初めて会ったのは去年、帰国後の日本でのこと。
今年もまたご縁あって彼女のトレーニングを通訳する機会に恵まれた。
日を改めてお茶をした。
1年振りの再会で話も尽きない。
でも、彼女の日本でのハードスケジュールを労うつもりで向かったのにな。
いつしか私が ’カウンセリング’ を受けているような始末...
NYから帰国して早くも1年半以上が過ぎる。
気づけば目の前のことにただ必死で今日まで来て、
大きな転換期を振り返ったり、ましてや気持ちの整理なんてしてこなかった。
し、何だかしたくもなかった。
ジェニーのいつもの鋭い洞察力と冷静さで次々と投げかけられる質問に、
うーん..と唸る自分。
「ヒロコ、この質問に私の為に答えなくてもいいけど、自分の為に答えられるようにしないといけないよ。」
言葉の投げ合いを続けること数時間ー
次の瞬間自分の口からポンッと答えが出た。
その瞬間を待っていたかのように、ジェニーは優しい笑顔でただ大きくうなずいた。
マットの上でも外でも魅せられる、ジェニーズマジック。
こちらもNYから来日のヨガ講師・ララ。
先日、彼女のキッズヨガトレーニングの通訳を担当させてもらった。
初日の朝。
初めましての挨拶を交わすや否や
「大丈夫、私もサポートするから。」
「私たち2人がひとつになってこのトレーニング達成するよ!」
...あ、大丈夫だ。っと思えていた。
まるで包まれているような大きな温かさだった。
”この先生のそばだったら安心”
理屈なしに、子供達はいつもそう思っているに違いない。
彼女もバックグラウンドは同じくNYダンサー。
私が最後に踊っていたダンスカンパニーのディレクター/振付家が、
ララの大学時代の教授、という共通点から昔話に花が咲いた。
またもやこうして与えられた振り返る時間。
そういう時期なのかもしれない。
お別れの日。
「ヒロコ、足し算だよ!引き算じゃないの。私たちが今までやってきたことに、積み重ねていってるの。全部が足されていってるんだよ。がんばろうね!」
「足し算」
そうだ...そうか!
ララはその繊細なまでの優しさで、最後のさいごまで励ましてくれた。
先日、菊池龍全さんのセミナー体験会に呼んで頂く機会が巡ってきた。
龍全さんは、認定NLPトレーナー・コーチであると同時に、高野山での厳しい修行を積まれた真言宗僧侶でもいらっしゃる。
「いのちを輝かす」をテーマに活動されている龍全さん。
この体験会では、”意識と無意識の調和” という正にヨガとの共通項から、
無意識の領域が持つ可能性とパワー、そしてその活かし方をご紹介下さった。
前記事 ’3つの植木鉢’ では脳科学の観点からDr. Joe Dispenza氏のお話をひとつご紹介したが、無意識の領域には以前からとても興味があった。龍全さんもまた独自の手法で無意識へのアプローチ法を研究されている。体験会では全てが興味津々で、終止胸のわくわくを抑えるのに必死だった。
ご紹介頂いたいくつかのエクササイズを体験する中で、とりわけ印象に残ったのは、圧倒法を用いた言葉によるエクササイズ体験。4人ひと組でチームを組み、被試験者に対し、残り3人の試験者が取り囲み、決められた(ポジティブな)言葉を浴びせていく。
改めて「言葉」が持つ威力を痛感する。
言葉が、例え一語一句文字通りの意味で意識下で理解されなくても、音としてのそれが持つエネルギー、それに乗った波動が、人の無意識に与える大いなる影響を再確認した。
そして特筆すべきは、エクササイズの効用は試験者であったときも、被試験者であった時も同様に感じられたということだ。つまりは、自ら発する言葉で、自らをも’洗脳’しているということ。
*
Sri Swami Satchidananda訳のヨガ・スートラ(哲学)の中で氏は
’言葉のTapas’(タパス・禁欲ー心身の浄化・変貌の為に必要な苦行を自ら進んで受け入れること)をこう説明している。
"Speech should bring tranquility and be truthful, pleasant and beneficial."
(ことばは平穏をもたらし、真実に満ち、快く、有益なものでなければならない)
そしてヴェーダ哲学のことわざ( -Satyam bruyat priyam bruyat )の紹介に続き、
" Speak what is true, speak what is pleasant"
(真実を語り、快きを語りなさい) としている。
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直接的・間接的に、様々な分野の方のお話に触れる中で思うことは、
ヨガの賢者だけでなく、僧侶・心理学者・脳科学者・生物学者・物理学者・医者・言語学者・栄養士・経済アナリストから宇宙飛行士の方まで、それぞれ分野は違えど、その道を極められた方は共通の境地に辿り着いていらっしゃるということ。
龍全さんのお言葉をお借りするなら、『智慧と慈悲』である。
ヨガという手段を通して、ヨガの学びを通して、自分には一体どんな貢献が出来るのか?
改めて自問自答するきっかけを頂いた。
今日も広がる秋空がきれい。
ほんの3ヶ月前、人生初めてのヨガに加え、自分は一番年上だから、と恐縮そうな面持ちでいらしたその生徒さん。控えめながらも、いつもの定位置に早速購入されたという
マイ・ヨガマットを今日も敷き、休むことなく通われている。
話を聞けば、何年も続けている毎朝のウォーキングに食生活の管理と、徹底した自己健康管理振り。自分で育て作っているというカスピ海ヨーグルトのお話、そのヨーグルトに欠かさず入れるというきな粉のお話、お料理の調味料として欠かさず愛用されているというお酢のお話、ブルーベリーの効果。
毎回楽しみに聞かせて頂く。
外の既製品を受け付けない、お酒大好きのご主人の為に、結婚以来数十年間、毎晩作り続けているという手作りおつまみのお話。その献身ぶりに頭が下がる。( .....そして反省。)
趣味の陶芸は10年以上続け、数々の賞を受賞されたという。
この通り、長年の人生経験の中でご自身のディシプリン(自己訓練)を既に確立されているのだ。まさに先ほどのTapas(タパス)である。ヨガの説くヨガ的な智慧ある生き方は、何もヨガのアーサナ(マットの上のヨガ)をやる人だけが得られるものではない。
そして、意識下にたとえ躊躇い、恥じらいがあったにせよ、この方の無意識下に刷り込まれているこれまでの経験・達成からの勇気と自信が、こうしてまた新しいチャレンジへと突き動かしているに違いない。
今ではプライベートレッスンにも積極的に参加されるようになり、
今日もまた、私たちの持つ無限の可能性を目の前で教えて頂いた。
それを活かすも殺すも、自分自身の心持ちひとつ、ということを。
私もこうしていつまでも内側から若々しく、輝きを増すように歳を重ねていきたい。
そんな足利からの帰り道。
すがすがしい気持ちで窓の外をのぞいた。