他人(ひと)にはわざわざ言わないだけで...
ひとは皆それぞれ痛みを経験し、内に抱えたり、乗り越えたりしながら生きている。
悪気はなく誰かのそのキズに触れてしまうこと、また触れられてしまうこと、
もある。
その痛みは、本人にしか分からない。
分かり得ない。
ひとの経験にひとつとして全く同じ、など無く、似ている状況、体験でも
貴方のそれと私のそれは似て非なるもの。
どこまで自分に置き換えられるだろう?
ずーっと昔に見た、題名も忘れたその映画。
だけど主人公の言葉の掛け合い、このフレーズだけはなぜか鮮明に覚えている。
女性:"...Don't tell me how I am supposed to feel...You don't know how I feel."
男性:"You are right. I cannot feel you, but I can feel For you."
そう。‘おんなじ’ 気持ちに、なんて綺麗ごと無理かもしれない。
でも、その思いに寄り添うことだったら出来る。
幸か不幸か?自分には『壮絶な悲劇』の経験がないから、その痛みを分かってあげられないのではないか...自分には一体何が出来るのだろう?その無力さに落ち込んだ。
そんなとき、心の師と仰ぐあの人にやっぱりまた聞いてもらう。するとー
「必要なのは想像力だから。相手を思うその優しさも想像力から。」
「自分にも近い経験があれば、もちろんそのことが想像力を助けてくれるから、確かに相手の気持ちを想像しやすいかもしれない。経験は智慧を与えてくれる。でも時に経験は先入観や決めつけを生み、感じる能力を妨げることもある。」
「寄り添いたいとおもうその気持ちがあることが大切じゃないかな。」
必要なときはここにいるよ、と手を差し伸べ
相手が望むなら、とことん話に耳を傾けよう。
ただただ、隣りにじっと居るだけだっていい。
そう。寄り添う。
相手の気持ちに繊細でありたい。
その為には、自分の感じることに、自分の気持ちに繊細でなければ。
見て見ぬ振りをしてみたり、押し込めてみたりー逃避 ではなく。
映画の中のあの女性が言う通り! "Don't tell me how I am supposed to feel"
感じるままに、を大切に。
そして心に繊細でいられるように、まずはもっと単純な身体から繊細に感じられるよう、
始めよう。
だから今日もマットの上に立つ。
寄り添える人間になりたいから。