シンクロニシティー
それはたくさん過ぎる偶然が折り重なって創られた旅だった。
お見舞いに行った病室で、いとこと私を前に祖父が見せてくれた優しい微笑み。
その翌日、尊敬してやまない祖父は他界した。
誠実・正直・真面目という言葉が世界一似合う祖父は、
闘病中も弱音ひとつ言わず、その優しい目の奥に強い意思を持って一人堪えていた。
去り際も決意が見て取れるかのように何とも潔すぎて...。
残されたものたちは、これからゆっくりゆっくり時間をかけて追いついていかなくてはならない。
親戚・家族みんなでお別れの儀をした翌日、ニューヨークへ。
もしもの時は行かないつもりでいた今回の旅。変な言い方だけれど、行けることになってしまった。こんな段取り、祖父にしか出来ない。
もちろん祖父には旅の計画など話していなかった。けれどどこかで全てを、わたしのこともみんなの事も、分かっていたに違いない。
そんな経緯から、今回滞在させてもらった親友夫婦以外には、ニューヨークに行く事を伝えていなかった。
着いたら友人に連絡を取ってもいいし、あるいは誰にも会わずにひとりゆっくりと整理する時間にしてもいいし、と、見事なまでのノープランでただただ飛行機に乗った。
day 1:
サブウェイの中でばったりと。かつてダンスカンパニーで共に踊った友人。
ほとんどパニック状態の中、1駅分だけの近況報告会。
今この瞬間だけでない、共にした何十・何百時間の思いが一瞬にして蘇る。
day2:
なんとなーく立ち寄った。よく暇つぶしに立ち寄っていた懐かしい化粧品店。
後ろから肩を叩かれ振り返ると、目の前にはかつてのルームメイト。
渡米当初から苦楽を共にした戦友。久しぶりに、こんな偶然に出会ったはずなのに、懐かしいと同時に、昨日もこうして一緒にいたような、何とも不思議な感覚。
day3:
まるで映画のワンシーンのように。ストリートを歩いていると、真正面からぶつかるようにバッタリ。見逃しようがない。目と目がばっちり合って時が止まる。紛れもなくそこにいるのは渡米当初からの級友。
...その後も続いて嬉しい再会を果たしたり、やり遂げたかった事を達成したりと、上手く行き過ぎなことが続いた今回の旅。
なーんにも計画なんてしなくたって、完璧なまでのプランが用意されていた。
「おじいちゃんはここまで段取りしてくれちゃったのかな...」なんて思いながら。
理屈や、私の手の届くちっぽけな世界を超えた
何か大きな力、自然・宇宙の力をとても近くに感じずにはいられないニューヨークでの時間だった。
そして私の中で、時間と空間の関係性が覆された。ハートは時空を超える。超えられる。
過去ー現在ー未来 は一方向に矢印の向いた→直線ではないという事。
ひとつ違う通りを歩いていたら、予定通りもうひとつクラス受けていたら、一本前の電車に乗っていたらー
そう。会えなかったはず。出来なかったはず。
このニューヨークでの"特別”な偶然の連続が気づかせてくれた事は、実は毎日がその繰り返し。同じことが日々起きているということ。毎日がスペシャル。一瞬・一瞬が選択の連続で、偶然の上に成り立った今この瞬間がここにあるということ。
でもだからって「何が正しい選択なのか」「どの通りを歩いたら一番いいのか」なんて考え出したら、駅までの道も進めない。し、考えた所で分からない。
勝手に選んでいる=必然である ということ。
私に受け取る準備ができていれば、必要なものが舞い込んでくるということ。
自分が呼び寄せているということ。
それがエキサイティングなイベントであれ、例えちょっと応えるイベントであれ。
全ては必然。
友人らと語り合い過ごす時はまるで、この地で必死に奮闘していたあの頃の自分に励まされているようであった。
「やってきた事は、間違ってなかったでしょ。」って。
だって、懐かしい友人との幸せな今この瞬間は、10年前の、5年前の、1年前の、先月の、1週間前の自分が繋いでくれた結果だから。
自分が "無意識に" 選択してきた結果だから。
自分の小さな頭の世界で、マインドで考えすぎる時は、
ある種のおごりがあるのかもしれない。
自分がどうにかしなくては、とか
自分でどうにか出来るのだ、とでも言うように。
私は自然・宇宙の一部・一員であり、生きとし生けるものはみなひとつ。
人間・自分へのおごりを捨て、大前提を思い出す。
その大きな力は、一員であるわたしを見守り、わたしの「より良さ」のためにいつだって想像もつかないベストプランを用意している。
ちいさな自分の役割は、ハートのアンテナで、いつでも感じ取れるようにしておくこと。
勇気を持ってハートを開けば、答えは用意されているのだから。